東濃見聞録ホーム

多治見市の今昔

多治見駅

多治見駅は、中央線の名古屋ー多治見間が開通した明治33年に開業。
現在、新しい駅舎には焼きもののオブジェなど設置され、陶都・多治見の玄関にふさわしい駅前になっています。2007年から多治見駅南北通路の建設が始まり2010年度に完成する予定。

昭和9年頃の多治見駅 現在の多治見駅
昭和9年頃の多治見駅 現在の多治見駅

多治見記念橋

多治見町と豊岡町を結ぶ記念橋の渡橋式は昭和2年12月4日に行われました。
(写真はその時のものです)
現在の橋は昭和46年に改修されたもので、歩道など設置されました。
昭和初期には多治見のシンボルであった石炭窯も現在では消え新しい家並みが建っています。

昭和2年の記念橋渡橋式 現在の記念橋
昭和2年の記念橋渡橋式 現在の記念橋

多治見市役所

昭和9年旧多治見町、豊岡町、泉町などが合併して多治見町が成立。昭和15年に市制を施行しました。 多治見市役所庁舎は明治26年、現在の多治見市役所駐車場の位置に建てられていた旧多治見町役場を利用し、看板を新しく「多治見市役所」と書き換えられた。 昭和49年に陶都の庁舎に似合った近代的建物を新築。

明治26年建設町役場時代 昭和26年建設 現在の多治見市役所
明治26年建設町役場時代 昭和26年建設 現在の多治見市役所

多治見警察署

明治9年に多治見屯所が設置され明治22年多治見警察署と昇格。明治36年常盤町に新築し移転。
昭和4年、現在の市役所の位置に木造2階建ての多治見警察署があったが、昭和44年東濃西部の発展に伴い日ノ出町から現在の宝町に移転。

昭和4年頃の多治見警察署 現在の多治見警察署
昭和4年頃の多治見警察署 現在の多治見警察署

土岐・瑞浪市の今昔

土岐市駅

明治35年土岐津駅として中央線多治見ー中津川間開通と同時に開業。
昭和40年現在の「土岐市駅」と改称し駅舎も近代的なものに建て替えられました。

昭和9年頃の多治見駅 現在の多治見駅
明治開通当初の土岐市駅 現在の土岐市駅

瑞浪駅

明治35年に開業されて以来75年間木造駅舎の改築や駅前広場の造成などが行われ昭和53年に完成しました。
写真は昭和35年ごろの瑞浪駅、駅舎は明治35年開業当時からの木造駅舎。
現在タクシー・バスの発着場は舗装されたが当時は砂砂利で排水が悪かった為雨が降ればすぐ泥濘になったといいます。

昭和2年の記念橋渡橋式 現在の記念橋
昭和35年頃の瑞浪駅 現在の瑞浪駅

瑞浪駅前通り

昭和30年頃の瑞浪駅前通りは乗合いバスの発着場や、列車の本数も1日40本と急増し「観光瑞浪市」のアーチも建てられ人や車でごった返すようになりました。

明治26年建設町役場時代 現在の多治見市役所
昭和30年頃の駅前の様子 現在の瑞浪駅前通り
昔の写真提供:多治見市図書館郷土資料室

ノスタルジックなお店

喫茶 芝(昭和37年創業)
喫茶店を始められたきっかけは?
東京のコーヒーメーカー「アートコーヒー」さんの東海地区では1号店ということで当時、大変にぎわっていた銀座通りに開店しました。
当時のおすすめメニューは?
今だにネルドリップ(布フィルター)でたててます。コーヒーも変わらずアートコーヒーです。
開店した頃のこの辺りの様子は?
榎元座という映画館があって、集団就職でやってきた製陶所や笠原のタイル工場の従業員でとてもにぎわっていました。特に毎月1日と15日だけが、工場が休みだったので大賑わいでした。当時珍しかったケーキも飛ぶようにでました。
銀座センターって?
ここの通りは飲み屋や飲食店通りで多い時は16件ありました。夜中まで人がいて、営業時間も夜10時すぎまでやっていました。その飲食店も今は、7件と大変少なくなりましたね。
映画館の影響は大きかったのですか?
30年半ば頃から、テレビが各家庭に普及し始めて映画館は、人が来なくなり 娯楽の形態はどんどん変わってきました。それとともにこの銀座通りに足を運ぶ 人も少なくなり、映画館は廃館となりました。

ご夫婦お二人でのんびりと営業していらっしゃいました。今、ネルドリップでコーヒーをたてられるところは大変少なくなっているようです。おとうさん、おかあさんの笑顔とコミュニケーションのある「喫茶 芝」へお出かけください。

喫茶 芝 外観 店内 室内灯
喫茶 常磐(昭和22年創業)
終戦直後で砂糖など材料はどうしたのですか?
牛乳は地元の農家で買い付け砂糖などの材料のほとんどはやみで買ったものばかりでした。
その頃の瑞浪はどんな様子でしたか。
活気があったね。何を作っても何を売ってもどんどん売れ大勢の従業員さんがいた。とにかく忙しかった。30年代は、瑞浪にも映画館(オレンジ座 ブルー劇場)があってとにかくにぎわっていた。本当に寝る間もなく働いたよ。
喫茶常磐の誕生は?
面白いように何をやっても売れて行くから、名古屋の業者さんに勧められ喫茶店を開店。娯楽は、景気が良かったから瑞浪では、なかったビヤガーデン、ビリヤードやレーシングカートなどをやった。ランチセットの先駆けも作った。
ものが溢れる時代に変わった今は……
バブル絶高期頃に、カラオケブームにのり今のカラオケ喫茶に切り替えた。
戦後から今までを振り返ってどうですか?
とにかくよぉやったなぁ。忙しかった。面白い程、売れた。お客さんもいつもいっぱいで、夢中で戦後を生きて来たよ。

お話をしていただいたのは西尾敏江さん(91)。現在の「カラオケ喫茶ときわ」は、時代の流れとともに様々に変化した「喫茶常磐」の名残を残しながら市民の憩いの場となっています。

喫茶 常磐 外観 看板 西尾さん
信濃屋(昭和5年創業)
信濃屋 外観 店内
ビジネス旅館 清楽(昭和28年創業)
清楽 外観
オリオンスポーツ(昭和43年創業)
オリオンスポーツ 外観
えもと酒店(昭和10年創業)
えもと酒店 外観